キャンセルするけどいいのか?ホントにいいのか?
嵯峨野花譜「忘れ花」
葉室麟・京都大覚寺・華道未生流2代広甫・胤舜
大覚寺
真言宗大覚寺派大本山・嵯峨御所
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清少納言・枕草子・芒の歌
「秋の野のおしなべたるをかしさは薄こそあれ」
「秋の野の面白さは薄にある」と清少納言は言っていつ。
未生流開祖は?
一甫・宝暦11年(1761)生まれ・口伝の花論書「挿花百練」
江戸幕府開府
法金剛院・京都双ヶ岡の麓
女院の御所と言われる。待賢門院さまのお寺
待賢門院とは?
待賢門院藤原璋子・白河法皇に愛される・乱交の人と言われる
孫の鳥羽天皇の中宮に・璋子は白河法皇と密通しながら顕仁親王(崇徳院)を生む。
百人一首・待賢門院堀河
80番 長からむ 心も知らず 黒髪の 乱れて今朝は ものをこそ思へ
堀河の局は璋子に仕えた女房で歌才に優れた・西行と歌のやり取り、
水野忠邦:老中首座
天保の改革
大御所・家斉の薨去を経て改革。人返し令・奢侈禁止・風俗粛正・株仲間の解散。低質な貨幣を濫造
大徳寺
臨済宗・一休禅師によって復興
千利休が山門の「金毛閣」を寄進。雪駄履きの利休像を安置。秀吉の不興を買い、切腹。
利休七哲
前田利家・古田織部・細川忠興らが助命嘆願。
秀吉は許さず聚楽第で切腹を命じた。すでに70歳、武士をもしのぐ気魄で切腹。
小座敷の花は、
かならず一色を一枝か二枝だがろくいけたるがよし
「花は野にあるように」花の美しさはあるがままに、
池坊とは?
京、頂法寺六角堂の僧。活花に長じ。。活花は仏前の供花い始まった。室町時代の頃
「かるさん袴」とは
袴はかまの一種。上を緩めに仕立て、裾口に細い横布をつける。中世末に来日したポルトガル人のズボンをまねたもの。
「花の心は花に訊け」広甫の言葉
「蝋梅」について。
梅とは異なる種。梅と同じ時期に咲き、香が似ており、花色が蜜蝋のよう。
蝋梅の種には毒がある?
「忘れ花」
法金剛院である女人のために花を活ける
胤舜の目に涙。二年前に捨てられるように別れた母だった。
「利休の椿」
ある豪商の内儀、弟のために気の向かない輿入れ。
弟の一周忌に胤舜が花を活けることの。お内儀の志津はその花をみて自ら弟のもとへ。
「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」
桜の枝は切ると腐りやすく、梅は回復が早いそうだ。
咲いた花は散らねばならぬ悲しみを負っている。
安土桃山~江戸時代の画家・狩野山楽による「 牡丹ぼたん 図」
真言宗大覚寺派大本山・大覚寺
大覚寺は、平安時代に嵯峨天皇が造営した離宮が前身・「旧嵯峨御所
活花とは
おのれの思いを吹き込むことによって、野にある花が活花にあるのでございます。
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