freo

キャンセルするけどいいのか?ホントにいいのか?

  • 手動モード
  • 自動モード
  • 一時停止中!
  • 復習モード

cate1-6 天皇について

初代天皇は誰か?

神武天皇

「日本書紀」などに記載があります。だが、2世紀ごろまでは神話の域を出ない。

初めて「天皇」を自称したのは誰れ?

天武天皇

だ!

それ以前は、大王(おおきみ)と呼ばれていた。645年の大化の改新で本格的な中央集権国家の建設が始まった。

女性天皇は過去に何代、何人いたか?

10代8人

初めての女性天皇は6世紀末に即位した推古天皇。再び皇位に就いた2人を含め、飛鳥、奈良と江戸時代に計10代8人の女性天皇が誕生した。

「女性天皇」と「女系天皇」とはどう違うのですか?

「女性天皇」は文字通り女性の天皇。それに対し「女系天皇」とは「父親が皇統に属さない天皇」を言います。

江戸幕府開府

「皇室典範」には、その第1条で「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」とあります。なぜ「男系」にこだわるのでしょうか?

「Y染色体」は父親からしか受け継ぐことができない。

性染色体が「XX」型ならば女子、「XY」型ならば男子。「X染色体」は男子も女子も持っていますが、「Y染色体」は男子しか持っていません。つまり「Y染色体」は父親からしか受け継ぐことができないわけです。

29代から37代天皇を順に述べよ?

29代 欽明天皇 30代 敏達天皇

31代 用明天皇 32代 崇峻天皇 33代 推古天皇

  • 34代 舒明天皇 35代 皇極天皇 36代 孝徳天皇 37代 斉明天皇

38代から44代天皇を順に述べよ?

38代 天智天皇 39代 弘文天皇 40代 天武天皇

41代 持統天皇 42代 文武天皇 43代 元明天皇 44代 元正天皇

45代から49代天皇は?

45代 聖武天皇  46代 孝謙天皇

47代 淳仁天皇 48代 稱徳天皇(称徳天皇) 49代 光仁天皇

第72代 白河天皇について

院政・天下三不如意

『平家物語』の巻一には、白河法皇が「賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの」と嘆いたという逸話がある。

保元の乱について?

1156年(保元1)

白河院政開始(1086)後,朝廷には〈治天の君(ちてんのきみ)〉=院と天皇と二つの権力が競合併存・勢力争。天皇側の勝利

  • 崇徳上皇側・藤原頼長・源為義・為朝父子・平忠正
  • 後白河天皇側・為義の嫡子源義朝,忠正の甥平清盛

承久の乱について

1221年(承久3年)に、後鳥羽上皇が執権である北条義時に対して起こした対立抗争。

幕府側の勝利

  • 後鳥羽上皇は隠岐島
  • 順徳上皇は佐渡島
  • 討幕計画に反対していた土御門上皇は自ら望んで土佐国へ配流された(後に阿波国へ移される)

平治の乱について?

1160年平清盛率いる平氏と源義朝率いる源氏との対立。

朝廷の皇位継承や貴族の内部争いが、武士の力で決着された事件でした。信西の執政や平氏一門の台頭、そして後白河院政派と二条親政派の攻勢などが、平治の乱の背景となりました。

元弘の変について

元弘の乱は、鎌倉時代最末期、元徳3年(1331年)から元弘3年(1333年)にかけて、鎌倉幕府打倒を掲げる後醍醐天皇の勢力と、幕府及び北条高時を当主とする北条得宗家の勢力の間で行われた全国的内乱。

足利尊氏・新田義貞・楠木正成等が活躍・南北朝時代へ

「太平記」元弘元年の元弘の乱

(1331年)後醍醐天皇/1332年隠岐へ遠流/

(1332年)名和長高らの働きにより隠岐を脱出、伯耆国船上山で挙兵/南北朝分裂/

児島高徳(こじまたかのり)

備前国児島郡の豪族/桜の木に漢詩を彫る児島高徳

「天莫空勾践 時非無范蠡」(天勾践を空しうすること莫れ、時に范蠡の無きにしも非ず)

『蜻蛉日記』について

藤原道綱母。天暦8年(954年)出来事が書、題名は日記のなかの文「なほものはかなきを思へば、あるかなきかの心ちするかげろふの日記といふべし」より。

夫である藤原兼家との結婚生活や、兼家のもうひとりの妻である時姫(藤原道長の母)との競争、夫に次々とできる妻妾について書き、また唐崎祓・石山詣・長谷詣などの旅先での出来事、上流貴族との交際、さらに母の死による孤独、息子藤原道綱の成長や結婚、兼家の旧妻である源兼忠女の娘を引き取った養女の結婚話とその破談についての記事がある。藤原道綱母の没年より約20年前、39歳の大晦日を最後に筆が途絶えている。

  • 「なげきつつひとりぬる夜のあくるまはいかに久しきものとかは知る」は百人一首にとられている。

額田王・大海人皇子・万葉集

「あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」(額田王)

「紫のにほへる妹を憎くあらば人妻故に吾恋ひめやも」(大海人皇子)

「熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな」(額田王)

大津皇子について

父は天武天皇・母は持統天皇の姉、大田皇女、壬申の乱で活躍、天武の子の中では草壁皇子(持統の子)に次ぐ皇位継承者・天武が死ぬと、686年草壁皇子に対する謀反の疑い、妻とともに処刑?(自害?)鸕野讃良皇女(うののさららのひめみこ)後の持統天皇の陰謀か?それとも本当に謀反を?24歳

大津皇子2

二上山に・姉は大来皇女(おほくのひめみこ)・「うつそみの人なる我れや明日よりは二上山を弟背(いろせ)と我が見む」

有間皇子について

孝徳天皇の皇子・中大兄皇子は、孝徳天皇を即位させた。蘇我赤兄に謀反をそそのかされ、かえって赤兄らによって邸を包囲され、囚われの身と。。

裁きを受けるために紀伊国・牟婁の湯に行幸中の斉明天皇のもとへ護送される途中、有間皇子が詠んだ1首が藤白坂の入口に歌碑「家にあれば 笥(け)に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る」(家にいれば器に盛るご飯を、こういう旅だから椎の葉に盛ることだ)

フィルタ設定
赤チェックがありません。
青チェックがありません。
スライドは1枚しかありません。

※info このダイアログボックスはすべてのスライドにチェックが入っている場合に表示されます。

Created by freo.